JASVブログ第218回

みなさんこんにちは。豊浦獣医科クリニックの古川誠です。

 

2015年の幕開けは実家にいながらクライアントとの電話対応に追われるという慌ただしいスタートとなりましたが、そんな大忙しの1月も文字通りあっという間に過ぎ去った先月末、なんとか無事に平成26年度の獣医師法22条に基づく届け出を提出することができました。

獣医師法22条は、獣医師免許取得者全員が対象で、獣医師の分布、就業状況、異動状況などの把握を目的として、2年ごとに届け出を義務付けられているという法律です。わかりやすく云うなら“国勢調査 獣医師Ver.”といったところでしょうか。平成26年度は提出義務の年となっていて、私にとっては獣医師人生2度目の獣医師法22条の届け出提出となりました。

22条は期日までに届け出をしなかった場合、最悪業務停止もしくは免許取り消しという非常に厳しいペナルティが課される可能性があるため、これだけは絶対に期日を守る!という独特の緊張感があるように思います。

 

そんな22条提出をめぐるやりとりの中で、ちょっと話題になったのが、

「免許証交付時の農林水産大臣は誰か?」

というもの。

獣医師免許証には最後に必ず“農林水産大臣 ○○”と時の農林水産大臣の名前が大きく記されています(なんだったら交付された本人よりも目立つくらい大きく笑)。

それぞれの時代の農林水産大臣がどういう人で、どういう仕事を残したのか。政治家だけに市井の人では経験できないような国を左右する重要な仕事を残している一方で、意外なエピソードや一面を持っていたりして調べてみると興味深かったので少しご紹介したいと思います。

 

まずはA先生の場合。交付時の農林水産大臣は山村新治郎( 1933 – 1992 )。千葉県の産まれ。父親の後を継いで政界入りした山村の名を一躍有名にしたのが、運輸大臣時代に起きたよど号ハイジャック事件(1970)。人質となった乗客の代わりに自ら人質になることを申し出たことから“身代わり新治郎”と呼ばれ広くその名を知られるようになったとのことです。人質事件では無事解放されたものの、後年実娘に刺殺されるという痛ましい最期を迎えています。

 

続いて弊社の重鎮B先生の場合。交付時の農林大臣(当時)は赤城宗徳( 1904 – 1993 )。茨城県の産まれで、農林大臣時代は日ソ漁業交渉などに尽力をした他、官房長官、政調会長などの要職を歴任。防衛庁長官時代には安保騒動において岸首相からの自衛隊出動要請を断固拒否したというエピソードが示すように、いかにも明治生まれの気骨の政治家という雰囲気が窺えます。プロフィールを見ると剣道藩士という一面もあり、まだこの世代の日本人には侍然とした雰囲気が残っていたのかなと想像したりしました。

 

最後に私が免許を交付された時の場合。交付時の農林水産大臣は鹿野道彦( 1942 –   )山形県の産まれ。農林水産業に精通していて、農林水産大臣としての通算在籍日数は828日で歴代一位。元は自民党出身で、自民党時代にも農林水産大臣を経験していますが( 1989 – 1990 )、私が免許証を交付されたのは、33か月の短い民主党政権時代のもの。今後いつ訪れるかわからない非自民党政権時代の交付ということである種希少価値があるかなと内心思っていたりしています。

 

前述のように農林水産大臣の名前は免許証に大きく記されているので印象に残りやすいのですが、ではその当時の総理大臣は誰かとなると私以外は答えに詰まってしまいました(A先生の場合は中曽根康弘、B先生の場合は池田勇人、私の場合は管直人)。

私が総理大臣まで覚えていたのは交付されたのが比較的近年ということもあり記憶が新鮮であるという理由ももちろんありますが、交付されたのが東日本大震災の直後だったということが大きいように思います。

交付された20114月といえば、東日本大震災から1ヶ月弱。あの大混乱の中で獣医師としての私は産声を上げました。鹿児島から関東にやってきた時節電のために街が真っ暗だったことが印象深く心に残っています。

あれから丸4年が経過して、4月からは獣医師5年目に突入します。そろそろ新人だからという言い訳が通じないようなキャリアになってきました。気を引き締めてがんばらなければと思う毎日です。